2014年12月28日日曜日

武とは

「戈(ほこ)+止(あし)の会意文字で、戈を持って堂々と行進するさま」と言われている。 また「戈を止むるを武となす」というのは誤りとも言われている。 私は居合道を行っている。日本刀を操り相手の攻撃を受け流し勝ための技を学ぶ道であり、これは簡単に言うと殺人技を 習っているということになってしまう。 西洋的に考えるとそうなるのだろう。しかし、道ということは、それを通じて身体だけでなく、心を磨くことにつながる。さらに神を理解しようとすることにまで行き着く。それは宇宙の法則を受け止められるようになるということだろう。 先人たちは、その入り口はともかく、道の歩みを進めるにつれ、それに気づき、それに導かれていたと思う。 極めれば人を殺すことなく、人が抱いた殺意を消し去り、平和へと誘う力を養うことになる。 日本刀は刃物であるが、その製作過程を知れば単なる刃物や武器とは違うことが理解できる。 神前にて、それを鍛え製作すると言うことは、如何なることだろう。 日本刀を霊器と呼ぶ人もある。 神が宿るということである。神を味方にすれば、抗える敵は無しということだろう。 それも一理あると思うが、私それだけでなく、神に許しを頂いて作ると考えている。 刀鍛冶が直接人を斬ることは少ないと思うが、その刀鍛冶が作刀したものが誰かによって誰かの命を断つことに なる可能性がある。 それは刀鍛冶の意思とは関係なしに起きるものだろう。 製作者である刀鍛冶は間接的に、その殺人の責任を負わされることにもなると言えるかもしれない。 であるから、作刀前に、神に許しを頂くことが必要と考えるのは当然のことだろう。 であるならば宇宙の法則に対して、予め許しを得ることで、刀鍛冶として使命を果たすことは、宇宙の法則から承諾を頂いての上ということで、刀鍛冶が作刀した刀が、その持ち主を諌め不要な争いに巻き込まれないように願い、その刀が持ち主を守る使命を果たせるように願うことは、刀鍛冶の責任と考えても当然だろうと思う。名刀と呼ばれる刀を作っている刀鍛冶には、そのような心があったと私は勝手に信じている。 その様な名刀をもって居合を行えば上達も早いかもしれない。が、そんな名刀にはめったに手にすることは出来ないだろう。 最近、まぐれで体感したことがあった。それは刀を上段に構えて切り下して前進することを前進切り下しというが、 その稽古をしている時に、刀を切り下すと、空気が「ふわー」と左右に分かれるような感触を体験した。 上級者にこの体験を伺ってみると、どうもそういうことはあるらしい。さらに上級者になれば、そのような体験を数多くしているらしいが、それもまた難しいらしい。 これも宇宙の法則に適った動きが出来たからだろうと思う。 武の道を私が極めているわけではなく、ある部分を垣間見ただけで何かを言うのは不遜かもしれないが、武とは自らを知り、宇宙を知ることになり、それは他者を慈しむ心にも つながると思う。 昔は強くなりたいという自我から始まり、それを続けて命を失ったものが多かったと思うが、ある程度、名を遺した人たちは自我から無我へと移行したのではないだろうか? 何を価値とするかということで、価値観の向上が、心を成長させたと思う。 日本には、神仏と剣の道が重なるよう捉えられるところがある。それが日本の文化だと思う。 その文化を知った上で武の道を歩むことは、単なる殺人技を学ぶ訳ではないということを知ってしまうと、自衛隊反対と未だに叫んでいる人たちの短慮が悲しい。 自衛隊の皆さんが自分の人生をかけて、国民を守るために日々精進されている姿を知れば、戦争の愚かさがますますわかる。 このよな使命を果たすために生きている人たちの命を簡単に弄ぶことなど出来なくなるからだ。 かたや人口の多い国で神仏も信じないような無神論国家においては、人の命が失われるのも、者が壊れるのも同じと 考えていることだろう。それは、その戦い方に、それが現れているから良く分かる。 そんな国に日本の似非平和市民団体が上手く利用されていることも腹が立つ。 自衛隊の隊員の努力を何と心得えているのだろうかと思うと、日本から出ていけばと思う。 また自衛隊がいなくなれば、誰があの横暴な国家から国民を守ることが出来るのだろうか? 共産主義国家の多くは独裁国家となり、己の権力に歯向かう邪魔な国民を多く殺している。さらに国土を広げるために 近隣の弱小民族の土地を侵し、その民族をも消し去ろうとする。 今の日本人の多くには受入れ難い価値観で生きている連中がいるのが事実だろう。 戦争反対、それは私も同じである。しかし、戦争という愚かな行為を国益のために使おうとする国家があるのも事実で、 日本はそのような国家に隣接しているのである。 その事実を見ようとしない似非平和主義には断固反対する立場に私はいる。 自衛隊に対して反対運動をするということは甘えているのと同じではないだろうか? それよりも他国の領土をも国益と称して侵略している国家に対して平和を訴えろ!と声を大にして言いたい。 自衛隊に罵詈雑言を浴びせても、彼からの報復は受けないから、平気なのであろう。 しかし、先に書いた通り作用・反作用は宇宙の法則として存在している。  似非平和を掲げる市民団体と称する国籍不明の人々にも必ず、その反作用は及ぶのである。 それを知らないでバカなことをし続けることに哀れも感じる。 カメラ道楽ということもさせてもらえる環境にあるのが日本である。こんなことが当たり前ではない国もあるのだ。 今年も多くの災害が日本の国土で起きたが、その度に自衛隊の皆さんが尽力されている。 さらに消防関係者、警察関係者もそうであろう。しかし、最後は自衛隊の力に頼ることになる。 力をどのように使うかで正義にもなり暴力にもつながるが、日本の自衛隊が暴力を好む集団ではないということは、災害地で自衛隊に救援をしてもらった人たちが知っている。 その人たちの言葉をyahサンが紹介してくれていた。  http://nicovip2ch.blog44.fc2.com/blog-entry-2199.html 日本の文化を知れば知るほどに、その精神が今も古来より引き継がれていることを知ることになる。 その顕れの一つに自衛隊の活動にあると思う。 自衛隊の皆さんの心から感謝を捧げたいと思う。さらに来年も日本国民と日本国を守るためによろしくとお願いしたい。 また似非平和主義市民団体の諸君、中華人民共和国や北朝鮮で反戦を騒いでみて欲しい。 現在の日本から戦争を仕掛けることはまずない。むしろ挑発してくる国家に対して「戦争反対!」と叫んで来い。 二度と日本へ戻れないかもしれないが・・・・。 しかし、それもあなた方の信条が本物であった証にもなるだろう。本当に平和を愛するなら自衛隊に甘えていないで、危険な隣国で活動をしてきたらよい。

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