デジタル一眼レフカメラ オリンパス E-3とE-3のコンビを使って心に残った散歩風景を撮影していたが、DP2も参加することになった。 さらにE-3No2からE-5へ移行。 撮影散歩をしながら、感じたり思いついた社会情勢に関して、独り言をつぶやく自己中心的、自己満足的な写真館。 ここの主の名は「ライカ大好き」である。そして、ライカ大好きであったが一度しかない人生なのでなのLUMIX LX3、E-M5、DP2、SD15、SD1Merrill、K5Ⅱsと16-55mmf2.8★、SONYのα7R、D800E、Dfと放浪していた。今は金魚(D810)と付き合っている。この金魚には病があり先天性夜間撮影時出現白点病だった。が、ニコンの医師たちの懸命な努力で、完治した。と書いたが完治はしていなかった。ISO感度がある程度になると白点病が再発した。現像ソフトによって対処療法は出来るが根治療法には至らなない。 またしても金魚に戻ってしまった。
2014年1月8日水曜日
昭憲皇太后100年祭1
D800E&AF-S Micro 60mm f/2.8G ED
新年参拝において昭憲皇太后100年祭が紹介されていた。人々のために心を砕かれ日本国民の母として振舞われた聖者である。
その聖者である方と自分を比べると、私は煩悩即菩提の中を生きている。
私は煩悩即菩提になるよう心がけないと煩悩即煩悩と加速してしまうだろう。
カメラ道楽を続けている理由には、刹那の中にある美に触れることで、己の汚れを取り去り、神の作られた世界に生きていることを
確認しているからである。
そのためには限りなく透明な神の心に触れたいために、機材に拘っているところがある。
そのお陰で心の健康を維持出来ているところもあるだろう。
撮影の結果というよりは撮影する行為そのものが私にとっての癒しでもある。その次に当然撮影結果が良ければさらに癒しの効果は高まる。
だからより良い癒しを得たいと思うから機材に拘るのである。
また、精密機器に触れることは製作している人々の心に触れることでもある。
彼らの向上心や精度を保ち製作に携わる姿勢が機器から伝わってくることが、私の励みになる。
先の投稿で怠け者アマチュアと書いたが、これはまさにそのとおりである。だから優秀な機材たちの助けがいる。
機器を高度に操ることも素晴らしいことだと思う。しかし、限りなく少ない手間で、撮影を行うことが私の心のケアには
役立っている。
D800Eは気難しいところもあるが、基本を忘れなければ、大変、ありがたい存在であることが分かった。
外観的には物足りないところもあるが、撮影操作においては快適である。
それが私を助けてくれている。さらにDfのようなからくり箱も同じである。
矛盾が存在しながらも生きるのが人間であるが、全ては成長へと導くことだと思う。
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