デジタル一眼レフカメラ オリンパス E-3とE-3のコンビを使って心に残った散歩風景を撮影していたが、DP2も参加することになった。 さらにE-3No2からE-5へ移行。 撮影散歩をしながら、感じたり思いついた社会情勢に関して、独り言をつぶやく自己中心的、自己満足的な写真館。 ここの主の名は「ライカ大好き」である。そして、ライカ大好きであったが一度しかない人生なのでなのLUMIX LX3、E-M5、DP2、SD15、SD1Merrill、K5Ⅱsと16-55mmf2.8★、SONYのα7R、D800E、Dfと放浪していた。今は金魚(D810)と付き合っている。この金魚には病があり先天性夜間撮影時出現白点病だった。が、ニコンの医師たちの懸命な努力で、完治した。と書いたが完治はしていなかった。ISO感度がある程度になると白点病が再発した。現像ソフトによって対処療法は出来るが根治療法には至らなない。 またしても金魚に戻ってしまった。
2014年4月23日水曜日
乃木神社 その3
D800E&NOKTON58mmf1.4
https://www.flickr.com/photos/leicadaisuki/13982517414/
ここが乃木邸の表玄関。この前に乃木将軍は絶たれて、殉死の前の撮影をされた。
そこへ立つと、時間を超えて、ここに乃木将軍がおられたのだということが実感される。
主を失ったこの館だが乃木将軍を尊敬する人々が訪れて止まないことだろう。
その中の一人にダクラス・マッカーサー将軍がいた。
彼も日露戦争における水師営の会見において武士道を彼の父に教えた。それを聞いてマッカーサー将軍は終生のその教えを守った。
そして、乃木将軍の功績をは日露戦に留まらない。若き日のマッカーサーへ与えた教訓が、敗戦国を復活へと導くことになった。
挑戦特需で日本へマッカーサーが武器・弾薬以外の軍需品は特別発注した。その結果、現在の価値に直せば140兆円で世界で一二の外貨準備高を持つことになった。
DF&35mmf1.8G
https://www.flickr.com/photos/leicadaisuki/14001690613/
マッカーサーの配慮により乃木邸は戦火を免れたが神社は焼けてしまった。
これもマッカーサーにとっては誤算であったことであろう。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿