デジタル一眼レフカメラ オリンパス E-3とE-3のコンビを使って心に残った散歩風景を撮影していたが、DP2も参加することになった。 さらにE-3No2からE-5へ移行。 撮影散歩をしながら、感じたり思いついた社会情勢に関して、独り言をつぶやく自己中心的、自己満足的な写真館。 ここの主の名は「ライカ大好き」である。そして、ライカ大好きであったが一度しかない人生なのでなのLUMIX LX3、E-M5、DP2、SD15、SD1Merrill、K5Ⅱsと16-55mmf2.8★、SONYのα7R、D800E、Dfと放浪していた。今は金魚(D810)と付き合っている。この金魚には病があり先天性夜間撮影時出現白点病だった。が、ニコンの医師たちの懸命な努力で、完治した。と書いたが完治はしていなかった。ISO感度がある程度になると白点病が再発した。現像ソフトによって対処療法は出来るが根治療法には至らなない。 またしても金魚に戻ってしまった。
2015年5月27日水曜日
日本の歴史
https://www.flickr.com/photos/132661468@N06/17940201589/in/dateposted-public/
D810&Sigma 24-105mmf4.0
天皇陛下と皇后陛下にお会いでき、またお声をおかけいただくという光栄な機会を与えられ、その時に感じたことを
整理していた。
皇后陛下は天皇陛下を気遣われており、天皇陛下に付き従われておられた。
その姿は大変お美しく、また心温まるものだった。
また天皇陛下の御尊顔を拝し、さらに天皇陛下の笑顔とその奥に光る眼光に触れて、瞬時に日本の歴史を感じさせられてしまった。
古来より引き継がれた命脈の今がそこにおられるわけだ。
さらに天皇陛下と皇后陛下の御公務を通じて積み重ねられた慈悲の光も同時に存在していた。
娘から日本史は選択科目になっていると聞いて我が耳を疑ってしまった。これは受験というものが日本の姿を忘れさせようとしているのではと思われる。
過去の出来事から教訓を学ぶことは大切なことである。最近では日本国民がそれを改めて自覚させられたのが津波である。また、そこにあった地名を現代に合わせ改名してしまう愚かさも少しは理解されたかと思う。
しかし、国史を学ばないとは何とも愚かなことであろうか。多くの人々の生き様から得られる智慧を放棄するというのだろうか?
歴史とは人の在り方の変遷でもあると思う。年号を覚えるだけのような無味乾燥な授業をしていれば、それでは智慧は得られない。知識だけである。
と書いたが、天皇陛下の存在とその笑顔を拝して、日本の歴史そのもののエネルギーを与えられたように思う。
知識や智慧を超えた悟りというものなのだろう。
それを与えられたように思う今日この頃である。
2015年5月24日日曜日
大物主大神の幸魂・奇魂の働きか!
大神神社への参拝の翌日、20年使ったガスコンロとガスレンジオーブンの交換の時期が来た。ガスコンロは未だ何とか使えるが、ガスレンジオーブンは基盤がショートして
焦げてしまって修理不能となった。 食を管理する妻にとっては大問題であると同時に、私にとっても大問題。そこで新たなビルトイン式のガスコンロとガスレンジオーブンを
入れることにして、新宿のショール―ムへ出かけた。場所は住友ビル15階のノーリツのショールーム。これまで使っていたのがハーマン製のものだったので、馴染みもあり、
デザイン的にも気に入っていたので引き続きハーマンをと思っていたが、ノーリツに吸収されてしまうことになったようだ。
それでノーリツのショールームに出かけた。
幸い、ショールームはガラ空きで、説明のために女性の社員が丁寧に説明をしてくれた。大変賢く無駄なく説明してくれたのでストレス無し。さらに美人さんであった。
妻も納得して決まりとなった。それで急きょ資金作りになった。以前からTAMRONA010の能力があれば私には不満がないので、Nikon300mmf4/Eを売ることにした。
それで殆どの資金がカバーできる。
カメラの収納棚から姿消えて少し寂しくなったが特に気にならない。
さて、新宿であれこれして帰宅したが、自宅付近には何やら警備の警察官や私服警官が立っていた。
まるで事件が起きたようであったが・・・・・
https://www.flickr.com/photos/132661468@N06/17839381388/in/dateposted-public/
しかし、ここには皇后陛下の実家があったのだ。今はねむの木公園になっている。ひょっとしてと警備の警察官に尋ねると、両陛下がご訪問されるとのことだった。
それで妻を現場に下ろし私は自宅へ戻りD810&SIGMAArt24-105mmf4.0を持ち出し現場へ。
昨日の山登りのお蔭で、足が上手く運べない。あちこち痛いのだ。登りは良いのだが、僅かな下りも辛い。
そして現場へ着いた。到着後20分程して、両陛下を乗せた御用車が到着。SPの車両も。
この公園には、美智子皇后陛下が皇太子妃の時に、イギリスの育種家から贈られた「プリンセス・ミチコ」というバラが咲いている。
それを御覧になられるためのお出ましであった。
品川区長も来て、公園管理の責任者から説明を受けておられた。
25分ほどの滞在であったが、両陛下がお元気そうで何よりであった。最近はパラオのペリュリュー島へ戦没者への慰霊に出かけられたばかりだった。
しかし、そのお疲れも見えない様子で日本国民の一人として安心させていただけた。
大変素敵な笑顔で集まった人々に手を振ってくださった。
https://www.flickr.com/photos/132661468@N06/17839381518/in/dateposted-public/
しかし、それだけではなかった。小さな女の子が「美智子様のバラ綺麗!」と何度も言うので、その声の元へと両陛下が来られてしまった。
その女の子は私の隣にいたのである。そして、気さくにお話をされていた。
天皇陛下が「なんと言っていたの?」と皇后陛下にお尋ねになると、皇后陛下は「美智子のバラが綺麗と言ってくれている」というお話をされた。両陛下のお言葉を生で聴いて
しまったのである。まさか生のお声をこんなに近くで聴かせていただけるとは予想もしていなかった。
それで終わるかと思って油断をしていたが、皇后陛下が私に向かって「お写真沢山撮られましたね。」とお声をかけて下さった。
とっさのことで「ありがとうございます。」としか答えることしか出来なかった。(大汗)さらに私に向かって天皇陛下がニコリとされて行かれた。
そして御用車に乗られてお帰りになられた。(上の画像は到着時のもの)
https://www.flickr.com/photos/132661468@N06/17839381678/in/dateposted-public/
このバラがプリンセスミチコである。
こんな間近で天皇皇后両陛下にお会いできるとは! これも大物主大神の幸魂・奇魂のお働きのお蔭としか言えない。
新宿からの帰宅途中もあれこれ寄らされるような誘惑があったが、すべて断ち切って帰宅した。
天皇皇后両陛下の園遊会にでも呼ばれない限りはこんな機会は無いことだろうと思う。
さらにカメラという趣味のお蔭で、美智子皇后陛下からお声をかけていただけた。妻には「カメラとは何と良い趣味だろう!」と言ってやった。
私に曽祖父は明治天皇、大正天皇、昭和天皇にお仕えしていたが、私には全く縁の無いことであったが、こんな機会を頂けるとは!
カメラという趣味を始めて以来の快挙であると思う。
さらに言えばガスコンロとガスレンジオーブンが壊れてくれたお蔭でもある。ニコンの300mmf4/Eを売ったことも幸いとなったと思う。
全てに感謝!
TAMRON A010&D750と大和国一之宮へ その6
大神神社の由緒については神社側では以下のように説明されている。
http://oomiwa.or.jp/about/goyuisho/#linktopから抜粋
「当社の創祀そうしに関わる伝承が『古事記』や『日本書紀』の神話に記されています。『古事記』によれば、大物主大神(おおものぬしのおおかみ)が出雲の大国主神(おおくにぬしのかみ)の前に現れ、国造りを成就させる為に「吾をば倭の青垣、東の山の上にいつきまつれ」と三輪山に祀まつられることを望んだとあります。
また、『日本書記』でも同様の伝承が語られ、二神の問答で大物主大神は大国主神の「幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)」であると名乗られたとあります。そして『古事記』同様に三輪山に鎮まることを望まれました。この伝承では大物主大神は大国主神の別の御魂みたまとして顕現けんげんされ、三輪山に鎮しずまられたということです。
この様に記紀ききの神話に創祀そうしの伝承が明瞭に記されていることは貴重なことで、当社が神代に始まった古社中の古社と認識されており、ご祭神さいじんの神格が如何に高かったかを物語っていると言えます。」
https://www.flickr.com/photos/132661468@N06/17837078888/in/dateposted-public
由緒ある大神神社の森を歩くと何とも心地よいものである。
https://www.flickr.com/photos/132661468@N06/17837079158/in/dateposted-public/
この神社にはこのような神が祀られていた。
ここに説明書きがあるが、神社のHPから抜粋すると
「おおものぬしのおおかみを厚く敬った崇神すじん天皇は神に捧げる御酒を造るために、高橋邑の活日(いくひ)を掌酒(さかひと)に任じました。活日いくひは酒造りの杜氏とうじの祖先にあたります。そして活日いくひは一夜にして美酒を醸かもしたと伝わります。崇神すじん天皇8年冬12月卯の日に大神への祭りが行われた後の酒宴で活日いくひは御酒を天皇に捧げて次の歌を詠みました。
「この神酒は 我が神酒ならず 倭なす 大物主の 醸みし神酒 幾久 幾久」
(この神酒はわたしが造った神酒ではありません。倭の国をお造りになった大物主大神が醸されたお酒です。幾世までも久しく栄えませ、栄えませ。)
崇神すじん天皇と群臣ぐんしんは夜もすがら酒を酌み交わし、祭りの宴を楽しみました。この故実によりご祭神は酒造りの神として敬われるようになったとされます。三輪の地は美酒を産み出す酒どころとして人々によく知られていたのでしょう。」
ということで、最近の趣味は日本酒ではないが、酒に親しむことで、この山に祀られている神々との親和性を高めていたことになったのかもしれない。
https://www.flickr.com/photos/132661468@N06/17839380878/in/dateposted-public/
帰路につく前にご挨拶をした。豊かな神の社に感謝を込めて。
さてこの「幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)」とはいったい何なのだろう。
神道における概念では神の霊魂には2つの側面を持つと言われている。それは荒魂と和魂である。
荒魂(あらたま、あらみたま)は神の荒々しい側面、荒ぶる魂。
天変地異を引き起こし、病を流行らせ、人の心を荒廃させて争いへ駆り立てる神の働き。
神の祟りは荒魂の表れと言われる。
それに対し和魂(にきみたま・にぎみたま)は、雨や日光の恵みなど、神の優しく平和的な側面。
神の加護は和魂の表れと言われている。
荒魂と和魂は、同一の神であっても別の神に見えるほどの強い個性の表れで、実際別の神名が与えられたり、皇大神宮の正宮と荒祭宮といったように、別に祀られていたりすることもある。
人々は神の怒りを鎮め、荒魂を和魂に変えるために、神に供物を捧げ、儀式や祭を行ってきた。この神の御魂の極端な二面性が、神道の信仰の源となっている。また、荒魂はその荒々しさから新しい事象や物体を生み出すエネルギーを内包している魂とされ、同音異義語である新魂(あらたま、あらみたま)とも通じるとされている。
https://www.flickr.com/photos/132661468@N06/17839381088/in/dateposted-public/
京都で東京方面行の新幹線に乗る。ローカル線の揺れにも慣れたが、やはり新幹線は豊かであると思う。
さていよいよ「幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)のついてであるが
和魂はさらに幸魂(さきたま、さちみたま、さきみたま)と奇魂(くしたま、くしみたま)に分けられ、幸魂は運によって人に幸を与える働き、収穫をもたらす働きである。奇魂は奇跡によって直接人に幸を与える働きである。幸魂は「豊」、奇魂は「櫛」と表され、神名や神社名に用いられるということだ。
https://www.flickr.com/photos/132661468@N06/17839381228/in/dateposted-public/
早速、幸魂の働きを頂いたのかもしれない。帰路の新幹線から撮影した富士山だが、この場に来るまで登拝の疲れでぐっすり寝ていた。しかし、この場の直前で何故か目を覚ましてしまった。それで撮影が出来た。
(この時は、幸魂・奇魂の働きが、さらに起きることは全く予想もしていなかった。)
ということで、大和之国の一之宮への参拝は無事終了した。
2015年5月23日土曜日
TAMRON A010&D750と大和国一之宮へ その5
https://www.flickr.com/photos/132661468@N06/17837077798/in/dateposted-public/
拝殿の参拝を終え、本日のメインイベントである狭井神社へ。
https://www.flickr.com/photos/132661468@N06/17837078098/in/dateposted-public/
狹井神社の鳥居付近はまた違う感じがある。
https://www.flickr.com/photos/132661468@N06/17837078368/in/dateposted-public/
狹井神社とは三輪の神様の荒魂(あらみたま)をまつる神社。力強いご神威から病気平癒の神様として信仰が篤いとのことだ。
以下は神社の公式な説明
「三輪山は、奈良盆地をめぐる青垣山の中でもひときわ形の整った円錐形の山です。古来、大物主大神が鎮しずまる神の山として信仰され、『古事記』や『日本書紀』には、御諸山(みもろやま)、 美和山、三諸岳(みもろだけ)と記されています。高さ467メートル、周囲16キロメートル、面積350ヘクタールのお山は松・杉・檜などの大樹に覆われて、一木一草に至るまで神宿るものとして尊ばれています。」
ということで、まずは拝殿で参拝して、このご神体である三輪山へ登拝することが今日の目的。
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神社からは以下の注意が示されている。
「大神神社のご神体「三輪山」は、太古の昔より神さまの鎮まる神聖なお山で、禁足の山として入山が厳しく制限されてきました。
近代になり、熱心な信者の方々の要望もあり、特別に入山を許可することとなり現在に至っていますが、もちろん三輪山への登拝は「お参り」が主眼であり、観光や一般の登山・ハイキングとは異なることに十分留意し、敬虔な心で入山いただきます。」
ということで我々も敬虔な心で登拝させていただくことになった。注意点については神社のHPを参照されたい。
http://oomiwa.or.jp/about/miwayama/tohai/#linktop
さて、登拝では撮影は禁止なので、カメラバックにD750たちを収めて登るか、ロッカーに預けるかであった。幸いロッカーにカメラバックが入ったので、フリーで登れた。
しかし、入口には竹の杖があった。これは貸出品で、自分たちでお払いをしてか登拝をすることになる。
幸い今日の天気はこの登拝には絶好であった。神社から頂いた地図には途中で泥濘がある注意とか書いてあったが、泥濘は全く無く快適に登れた。
しかし、山道は一つしかないので迷うことはないが、厳しい山道で、階段を幾段登ったのだろう。
途中で休憩をしながら1時間ちょっとで登れた。途中でモンキアゲハが2羽現れて舞い始めた。そして、登拝途中で現れては励ましてくれた。目的地である奥津磐座(おきついわくら)
標高467.1mである。北海道の山を登られているyahサンにしたら何でもない山であると思う。モンキアゲハは時々顔を出して傍まで来ては、我々を山頂に誘ってくれた。
奥津磐座の手前に高宮神社がある。そこで参拝をする時も現れてくれた。そして、最後の奥津磐座でも。
空は快晴、気温は丁度良く、湿度も低く、そんなに汗をかいた感じはしなかった。
途中、休憩する場はパワースポットがあるので、そこで休ませてもらった。それは神社側が特に示した場ではないが、こちらには明らかに快適で癒される場と感じられる場があった。
さらにはそこにいると爽快な風が吹いてきて、体温を優しく下げてくれた。
そして、モンキアゲハが現れて、「そろそろ出発してください」という感じで舞ってくれた。
これは山を下る時も同じで、足元を見て下るが,それと同時に蝶たちの影が舞うのである。 そして、さらにラッキーなのはとてもきれいな女性が一緒に降りて来た。
登る時は3人家族だったが、彼女だけは急いていたのか我々のすぐ後ろについて来た。昔のお姫様のような顔立ちの美人さんで、それも私を励ましてくれた。
TAMRON A010&D750と大和国一之宮へ その4
https://www.flickr.com/photos/132661468@N06/17800943748/in/dateposted-public/
手水舎ではちょっとびくっり。でも当然なのかもしれないが蛇が水を出している。
ここは御神体は三輪山そのものだが、その山の形が蛇がとぐろを巻いている形から蛇神と言われたり
日本書紀に残された大物主神とその妻の話から大物主神は蛇の姿をしているとか言われているからだろう。
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手水舎から拝殿はすぐ傍にある。
いよいよ参拝ということになる。
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拝殿へ向かうと、眩しいほどの太陽が照らしてくれた。
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このように多くの人々が参拝されている。
TAMRON A010&D750と大和国一之宮へ その3
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三輪駅で下車して徒歩五分ということで歩き始めた。
このお店の角を曲がると三輪神社への道へ出るそうだ。
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参道はこちらへということ。砂利道を歩く。この場を歩くと何故か懐かしい感じがしてきた。
https://www.flickr.com/photos/132661468@N06/17800943148/in/dateposted-public/
右手に見える酒屋さんはこの界隈で唯一残った店らしい。この意味は後ほど分かることになる。
この時点では日本酒アイスが帰りの目的であった。
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神社の鳥居が見えてきた。
この場を歩くと何故か懐かしい感じがしたが、それは帰路で理解できることになった。
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この参道を行くと拝殿につく。。
玉砂利が敷かれた参道を行く。この森の囲まれていよいよ本殿は設けずに拝殿の奥にある三ツ鳥居を通し三輪山を拝するという原初の神祀りの様を伝える我が国最古の神社へ。
しかし、何とも心地良い場だと感じる。
TAMRON A010&D750と大和国一之宮へ その2
https://www.flickr.com/photos/132661468@N06/17798130968/in/dateposted-public/
天理に着くと近鉄からJR線に乗り換える。改札を出ると直ぐ左となりにJR線の改札がある。
しかし、誰もいなかった。そして切符を買ってホームに出てみると誰もいなかった。
嫌一人だけ若い男性が電話をしていた。
9時54分発の和歌山方面へ乗る。
https://www.flickr.com/photos/132661468@N06/17798131028/in/dateposted-public/
電車が来る前に線路を見るとポピーが咲いていた。無機質な線路や砂利の間に微笑ましい姿を見せてくれていた。
記念に一枚撮影させてもらった。
https://www.flickr.com/photos/132661468@N06/17798131078/in/dateposted-public/
いよいよ電車が来た。懐かしい姿である。私は鉄道ファンではないので、見ていた記憶だけで綴るが、昔の山手線や
京浜東北線あるいは南武線で走っていた電車の姿を見た。屋根を見ると換気口のカバーが懐かしい。
https://www.flickr.com/photos/132661468@N06/17798131128/in/dateposted-public/
ごとごと走って4駅目で、ここに到着した。
御覧の通り誰もいない。
TAMRON A010&D750と大和国一之宮へ
九州の次は奈良へ行くことになっていた。
早割で予約して経費節約で大和国へ。
日帰りなので、早朝から出かけることになった。撮影は全てTAMRONA010とD750で行った。山に登る予定も
あったのでMB-D16は外した。少しでも軽量にしたいために。
https://www.flickr.com/photos/132661468@N06/17958814226/in/dateposted-public/
早朝の山手線に初めて乗車した。朝5時30分だか社内は混んでいた。
通勤時間帯のような様相だった。
どこかへ旅行するような支度をしている人たちが多かった。
空港へ向かうのだろうと簡単に予想出来る姿ばかりだった。
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こちらはのぞみ99号で京都へ。新幹線に乗るのも5年ぶり。俄か鉄ちゃんになってしまった。(笑)
https://www.flickr.com/photos/132661468@N06/17958814566/in/dateposted-public/
富士山が姿を見せてくれた。「のぞみ」は結構揺れるので撮影するのが難儀した。
さらに面白かったのが朝食をセブンイレブンで買ったら、くじを引けと言われた。
そこで2枚分引いてみた。すると2枚とも当たりくじだった。すると、もらったものは「アイスバー」だった。
もらって気が付いたが、これから電車に乗るのだから、持っていたら溶ける!
急いで食べようと妻と分け合った。朝の一番から面白いが冷たかった。
https://www.flickr.com/photos/132661468@N06/17958814666/in/dateposted-public/
京都には8時2分定刻通りに到着。それから近鉄へ乗り換え。
カメラ装備を軽くしたので移動も楽だった。8時22分の天理行急行に乗る。
https://www.flickr.com/photos/132661468@N06/17958814766/in/dateposted-public/
ホームへ急行が入ってきた。京都の次の停車駅は東寺。すぐ隣駅。最初は急行なのかこれはと思ってしまった。
「のぞみ」の後だから、乗り心地や騒音などもかなりの差があった。
でも「のぞみ」に乗って思い出したのが先日の飛行機による宮崎往復。揺れということに関しては飛行機の方が
少なかった。あえて言えばバンクする範囲が「のぞみ」より大きかったぐらいだろうか。
2015年5月19日火曜日
最近の趣味 その14
自分の感覚を確認することはなかなか難しい。比較対象するものが同レベルだと尚更だろう。
そこでちょっと頑張ってジャン・フィユー レゼルヴ・ド・ファミリアルを近所の酒屋で手に入れた。
これが最後の1本だった。
それまでは、以下のジャンフィユー トレヴィーユ フロスティー を楽しんでいたが、今一な感じもしなくはなかった。
ちょっと地味かなあとも思った。しかし、ジャン・フィユー レゼルヴ・ド・ファミリアルは、ちょっと不満に思った部分がすべて満足に変わってしまっている感じで大変美味しい。自分が感じていたとジャンフィユー トレヴィー フロスティーへの不満は正しかったのだと思える。
お店の広告にあった。
「リムーザンのオーク樽で50年以上もの熟成をさせた原酒から厳選したもののみをブレンド。
濃密で華やかな完熟葡萄そのものの風味を残しつつも、熟成による滑らかで深遠なフィネス…崇高ささえ感じるとびきりのコニャックです。」は、ほぼ正しい。
崇高さは未だ感じられていないので。
上のジャンフィユー トレヴィーユ フロスティーが飲めなくなってしまうのではと思う程だ。
さて私の好みだけでは家庭争議になるので、妻には以下のジュースを買ってみた。
「ポールジロースパークリングジュースの代わりはこれしかありません!」というコピーを信じてエリザベス スパークリング ルージュ2013とエリザベス スパークリング ブラン 2013を。
今は上のルージュを飲んでみたが、ちょっと違う豊かな贅沢な味わいを体験させられた。
2015年5月18日月曜日
最近の趣味 その13
最近の趣味は、コニャックの達人とも言える方からお話を伺うことになってから病膏肓という感じになってきた。
この方は日本コニャック協会の会長さんで、フランスでも認められた方。
初心者の私に丁寧に教えて頂けたことで、その教えを実体験してみたいと考えてしまった。
そこで刺激を受けてあっという間に種類が増えてしまった。
ポールジロー トレ ラール 35年。 1990年代後半流通品を。
説明を受けてから味わい方も変わりつつある。次第に、このコニャックの良さが分かりつつある。
ポール・ジロー エクストラヴュー25年 並行。正規品との違いは味の安定度のようだ。
海外製品には、バラつきがあるとのこと。
これはアルコール度数70度というもので、ポール・ジロー オードヴィー2012 サヴール・インテンス。
商品説明には以下のようだった。
2000年代の中期には、毎年の風物詩ともいえるほど好評を博していましたポール・ジローが作る出来たての蒸留酒「オードヴィー」が、2009年ヴィンテージ以来、久々の生産再開となりました。実に3年ぶりとなる入荷ですが、10年、20年と熟成が進めば、間違いなく素晴らしいコニャックになると実感させてくれるほど、この原酒の段階で溢れるほどの香りと、繊細ながらも次々と現れてくる複雑な味わいを感じ取れます。通常この手の若い蒸留酒は、まだまだそのお酒が持つ本来の香りや味わいが表面にでていないものが多いのですが、ジロー氏が自信を持って3年ぶりにリリースするだけあって、現段階でも十二分にその旨さを堪能できる酒質を持っています。人気の定番ラインアップとともに、そして年末から来年にかけて入荷してくるであろう大人気のジュースとともに、飲み比べていただくとポールジローの奥深さ、素晴らしさを存分に堪能いただけることと確信しています。もちろんこの2012年ビンテージは1度限りの生産、入荷となりますのでこの機会を逃すと2度と入手できない商品です。500MLボトルでわずか900本限りです。
口に含んで見ると唾液がドバーと出て来た。アルコール度数の関係なのかもしれない。
試飲で一口だけなのにぶっ飛んでしまった。
コルドンブルーの評価は過去にあったようで、新しいものは避けてみようと思うが古いものは高い。
これはちょっとだけ古い感じ。味は先日味わったコルドンブルーと同じ。悪くない。
これはコルドンブルーではないが古そうなのと価格が安かったので手に入れた。
マーテル メダリオン 旧ボトル。開封してみるとコルクがダメになっていて中に落下した。
味は古い感じがするが悪くない。少し時間をおいてから確認しよと思っている。
フラパンVSOP。これは2,200円で購入した。大変美味しいらしいという評判とグランドシャンパーニュという格付けを持った村のブドウを使っているらしい。
飲んでみると、本当に美味しかった。この価格で悪酔いをするかもと心配したが、そんなことは無用であった。
これを飲んでみると自分の好みなのだろうと思う。そのうち、フラパンのナポレオンを試したいと思っている。
前にも紹介したDupuy1973。 頭に知識が入って、このコニャックを受け入れるだけの素地が出来たようで、美味しく感じられるようになった。
これはダルティガロング1989。ブランデーでも産地の名前が違う。こちらはアルマニャック。
これは頂き物である。
Dupuy1973のことで相談したら、会長さんのご厚意で頂いてしまった。
これもまた美味しいのである。
さらにこれから試してみたいのがこれ。チャーチルが愛したと言われる、それは以下の説明にあった。
チャーチルがロンドンの超高級ホテル「サボイ」で愛飲していた「サボイ・リザーブ」の味わいを、1960年以前の古酒のみをブレンドすることで当時のままに完全に復元。シガーとベストマッチするこのコニャック。
喫煙はしないので、どうなんだろうと思うがチャーチルが感じた一部でも感じてみたいと思う。
ジャン・フィユー レゼルヴ・ド・ファミリアル
リムーザンのオーク樽で50年以上もの熟成をさせた原酒から厳選したもののみをブレンド。
濃密で華やかな完熟葡萄そのものの風味を残しつつも、熟成による滑らかで深遠なフィネス…崇高ささえ感じるとびきりのコニャックです
2015年5月15日金曜日
5月12日 日帰り成功 その7
https://www.flickr.com/photos/132661468@N06/17655086195/in/dateposted-public/
到着時とは、まったく違う表情を見せる宮崎空港。台風一過のお蔭なのか素晴らしい夕陽が、これから搭乗するJAL機を照らしていた。
ともかく台風の情報は全くつかめず、空港のロビーのニュースで四国から紀伊半島手前にいるらしいとのことだけが分かった。
https://www.flickr.com/photos/132661468@N06/17655087555/in/dateposted-public/
さらに、台風だけでなく、関東地方や東京では暴風雨に注意とまできた。これで無事羽田に降りれるのだろうかと考えてしまう。そこで友人に電話して
台風情報を確認してもらったが、どうにも正確な情報が伝わってこなかった。
娘からは帰ってこれるのかとメールが入ってきた。
しかし、日本の神話の舞台に参拝して、日本の神々のご加護もあるだろうと、考えることにした。
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空港に入る前にいた、この鳥の、のんびりした表情を思い出した。逃げないんですね。これが。妻が脅かしたら流石に逃げたが、何とも可愛い鳥だった。
セキレイの仲間なのだろうが。
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さて空路羽田に向かうと、離陸時間が20分送らされた。理由は天候によって羽田に降りる機が増えて交通渋滞とかで。
その陰で、この夕方の絶景を味わうことが出来た。
搭乗する前に、搭乗口カウンターに天気図があった。まさに台風は紀伊半島手前にいることになっていた。
空路はその真上を通過する様に畿内のモニターに現れた。
台風を追いかけ追い越すことになるのだろうか?
途中はかなり揺れるかもしれないと覚悟もしたが、この平和で美しい夕方の空模様に何かサインがあるようにも思った。
宮崎空港を出発して順調に飛行していたが30分から40分するとベルト着用のサインと機長からのアナウンスがあった。
「これから5分ぐらいすると揺れることが予想されますが、機の安全には問題がありません。」とのこと。
時計を見ていると5分ほどで揺れが始まった。過去に花巻空港に降りた時は凄かった。搭乗したのはYS-11だったが、300mぐらい一気に降下したり
上昇していた。エアポケットに入ってしまったからだ。 登場していた当時の会社の同僚たちは皆青い顔。そして機が上下するたびに「ビクッ!」として
肘かけをつかんだり、何時もは豪胆に振る舞っていた部長は何故か毛布を被っていた。私はそれぞれの人の様子を見ている方が楽しくて面白がっていた。
ジェット機はプロペラ機より遥か高度を飛ぶので、あまり問題はないかもしれないと思ってもいた。
揺れが始まったが、都内でバスに乗っているぐらいの揺れで終わってしまった。実に呆気なかった。
それが終わり着陸20分前ぐらいから機が降下し始めた。いよいよ高度を落とすと揺れが激しくなるかなと思っていたが、そうでも無かった。
しかし、最後の最後で機長が腕を見せる場面が来た。着陸寸前に機がバンクした。翼をみていると機長がカウンターを当てて即座に対処した。その後、ドンと着陸した。飛行機が一番不安定な時に風が悪戯してきた。しかし見事に機長はカバーして機を安全に着陸させてくれた。
この時、飛行機には横滑りが無かったので、何とも突発的な風だったのだろう。
この操縦には拍手したくなってしまった。キャビンアテンダントにはキャプテンな見事な操縦を見せてもらったとお礼を伝えて欲しいと頼んだ。
羽田到着も出発時刻が20分遅れただけで、定刻通り到着した。
帰宅後、気象庁のHPを見ると台風は四国沖で熱帯低気圧に変わってしまっていたようだ。つまり台風は姿を消してしまったということだ。
日本の神々は風雨などで人間を叱ったり清めたりされるようだが、変化させることも自由自在なのだろう。
今回の日帰り参拝旅行は普通にみたら無謀に見えると思う。
その証拠に、座席予約をした時は、ほぼ満席だったが、行も帰りも機内は空いていた。
特に帰りは前後左右すべて空席となっていた。
そこで自由に座って良いと言われて、寛いだ気持ちでもいた。これもご利益というものなのだろう。
7月には土佐に行くことが、この体験から決まってしまった。
5月12日 日帰り成功 その6
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今日の目的地へはすべて時間通りに行けた。そして時間通りに帰路につく。台風の影響が殆どないような状態だったので拍子抜けした。
延岡の駅で日輪号待つあいだ俄か鉄ちゃんになってみた。
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16時14分の日輪15号で宮崎空港へ向かう。
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こんな感じで日輪15号はホームへ入って来た。
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空港へ向かう途中、車窓から見える海。上空は雲が厚くかかっていた。
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しかし、宮崎空港駅に着く直前から快晴になってしまった。
台風は九州を通り越してしまったようだ。
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空港前の椰子の木と空を見ると南国にいるんだなあと実感できた。
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椰子に寄生する蘭がいた。
こんな景色は初めてみた。
しかし、いい天気になってしまったもの。
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こちらは天気が良いが台風は四国沖にいる。また前線なのど影響で東京は厳しい感じ。
案内でも悪天候で羽田に着陸できない場合は関西空港、中部国際空港、あるいは宮崎空港に戻るとの案内も出た。
待合のロビーではこんな長閑な感じなのだが。
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