2015年5月27日水曜日

日本の歴史

https://www.flickr.com/photos/132661468@N06/17940201589/in/dateposted-public/ D810&Sigma 24-105mmf4.0 天皇陛下と皇后陛下にお会いでき、またお声をおかけいただくという光栄な機会を与えられ、その時に感じたことを 整理していた。 皇后陛下は天皇陛下を気遣われており、天皇陛下に付き従われておられた。 その姿は大変お美しく、また心温まるものだった。 また天皇陛下の御尊顔を拝し、さらに天皇陛下の笑顔とその奥に光る眼光に触れて、瞬時に日本の歴史を感じさせられてしまった。 古来より引き継がれた命脈の今がそこにおられるわけだ。 さらに天皇陛下と皇后陛下の御公務を通じて積み重ねられた慈悲の光も同時に存在していた。 娘から日本史は選択科目になっていると聞いて我が耳を疑ってしまった。これは受験というものが日本の姿を忘れさせようとしているのではと思われる。 過去の出来事から教訓を学ぶことは大切なことである。最近では日本国民がそれを改めて自覚させられたのが津波である。また、そこにあった地名を現代に合わせ改名してしまう愚かさも少しは理解されたかと思う。 しかし、国史を学ばないとは何とも愚かなことであろうか。多くの人々の生き様から得られる智慧を放棄するというのだろうか? 歴史とは人の在り方の変遷でもあると思う。年号を覚えるだけのような無味乾燥な授業をしていれば、それでは智慧は得られない。知識だけである。 と書いたが、天皇陛下の存在とその笑顔を拝して、日本の歴史そのもののエネルギーを与えられたように思う。 知識や智慧を超えた悟りというものなのだろう。 それを与えられたように思う今日この頃である。

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