2013年8月21日水曜日

靖国神社参道

靖国神社参道 by leicadaisuki
靖国神社参道, a photo by leicadaisuki on Flickr.

SD1Merrill&35mmf1.4 今日はまず明治神宮に参拝した。その後、靖国神社へ参拝した。その意味はといえば、明治大帝の思し召しで東京招魂社が始まりで、明治12年(1879)に「靖国神社」と改称されて今日に至っているのであるから、まずは、明治大帝へご挨拶をして、それから靖国へ向かった。 明治大帝の御心を忘れずに平和な国として日本を守りたいという気持ちを持って、靖国へ。 さて以下のような話もある。 1975年には真言宗醍醐派品川寺僧侶仲田順和(のち醍醐寺第百三世座主)が教皇パウロ6世に東京裁判で戦犯となったものへのミサを行うことを依頼すると、教皇はミサを約束する。パウロ6世は1978年に死亡するが、1980年5月21日、教皇ヨハネ・パウロ2世がパウロ6世の遺志を引き継ぎ、A級戦犯・BC級戦犯として処刑された人々へのミサがサン・ピエトロ大聖堂で行われ、1068柱の位牌が奉納されたということだ。 キリスト教国においては戦犯という人たちに対して、慰霊の思いを捧げてくれたことは、何を意味するのだろう。 お互いに事情があり、戦争という手段を取るまでに苦悩があったと思う。そして祖国を守るために戦い負けた人々に罪を着せることは キリストの心にも適わないということであろう。 汝の敵を愛せと言われたのはイエスである。愛しやすい人を愛すのは容易である。しかし、憎いと思う相手を愛することは大変難しいことである。憎み続ける側は、自分も苦しくなることである。 結局は阿修羅となってしまう。それは地獄への道とも言えるだろう。 ローマ教皇はイエスの使いであるのであれば、イエスの教えを実践されたということだろう。 中共は別として、韓国民の多くはキリスト教徒である。キリスト教会も9万ぐらい存在すると思う。 韓国民のキリスト者たちは、この教皇の行いを知らないのだろうか? 全く不信心なことである。

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