2013年1月26日土曜日

傲慢から真理

hikari by leicadaisuki
hikari, a photo by leicadaisuki on Flickr.

SD1Merrill&70mmf2.8MACRO アルジェリアのテロ事件は大変残念なことであった。 被害に遭われ亡くなられた皆様の冥福を祈りたい。また遺族の皆様の御心痛を思うと涙が止まらない。 また、被害に遭ったが生存された被害者の心の傷が一日も早く癒されるようにと思う。 似非平和主義者は不戦と叫ぶ。基地反対と叫ぶ、しかし、彼らの論理は彼らにとっては正論であろう。 しかし、現実を見れば、それはあまりにも傲慢であり不見識な考えである。 私の立場は戦争には大反対である。人がお互い殺し合うことに賛成は出来ない。 しかし、戦争反対と願っても、この地上の世界では武力を持って身を守ることを、今だ良しとしている人々もいる。 彼らから見れば。武力がなければ、身は守れず、また、自らの理想を果たせないのである。 彼にとっては生命を守る大事な力である。彼らの置かれた環境においては。 そこへ言って、平和を唱えたところで、彼らかは見れば机上の空論である。 彼らに武器を捨てて対話しようとしても、拒絶されることになる。生命のやり取りが最終手段としている彼らには 日本のエセ平和主義者がいうことは傲慢であり、無責任なことに映るだろう。 日本国は自国を自国民が守ることが本当にできるのであろうか?今回も自衛隊法があるので、直接、邦人救助が出来ないようである。 他国へ依頼するしかないのである。こんな恐ろしいことを何時まで放置するのだろう。 自国民の生命と財産を守るのは、どこの国においても正当な権利である。 中東、アフリカにおいて、また、チベットなどで行われている残虐な行為は、被害者が自らを守ることが可能な武力がないからである。 彼らの犠牲を考えたら、そろそろ日本国民はエセ平和主義者の声を崇めるのではなく、現実的平和主義者へとなるべきであろう。 武力とは戈を止める力と書く。それが真の武力である。 それは侵略するための力ではないのである。他国民の権利を脅かし、犯す力ではない。 自国民を守る力、自国を守る力、それが武力である。 天の意思も正当な武力を持たせようとしていると思う。

2 件のコメント:

amselchen さんのコメント...

ご意見にまったく同意です。
いわゆる「戦争ができる国」になることが、わが国への侵略の野心を抱く国やテロを謀る集団への抑止力となって、それが戦争からわが国を防ぐことになるのですね。まさに戈を止める武こそ必要なのであります。

こんな一般常識を改めて述べねばならぬほど、占領軍GHQに押し付けられた「平和憲法」中毒が全身を麻痺させているのでせうか?「平和を愛する諸国民」などどこにも存在しない妄想です。また某社民党党首などは、その寝言にいう「九条によっていままで平和だった」のではなく在日駐留米軍と日米安保条約がわが国を守っていた現実をなぜ見ないのでせう。

導師がご指摘のように、今回の事件と被害という奇禍をして必要な法整備を含む対策を講じることが大切です。現政権ならそれができる、と信じています♪

LEICA DAISUKI さんのコメント...

アムゼルさん
ありがとうございます。
世界各国における価値観は多様ですね。
また宗教も様々に存在しています。
社民党、共産党や民主党の左翼連中は、世界の真実を「見ない」「聞かない」「言わない」を
しています。そして、特定の国家の価値観を
自国民に植え付けることを画策して、これまでやってきました。
そのような輩は自民党内にもいるとは思います。
また世界の情報入手が特定のメディアに頼っていた時代から、ネット社会になり、様々な情報が入手できる時代になりました。

これによって、人々は自分の信じられる情報を選択できる時代になりました。

この時代背景には地球人としての意識向上が望まれる時代になったということでしょう。

それを妨害しようとする力もありますが、それらも何れは崩壊することでしょう。
そして、それを傍観しているだけではなく、自分たちができることをする努力も要求されていると思います。

世界が真の平和を過ごせる時代が一日も早く実現するように。

武力の意味を履き違えている人が多いのが今日です。
その意味について、皆が考えるようにと天は即されているようにも感じます。
似非平和主義では真の平和は得られません。
歴史を真に学ばなければ真の平和は得られませんね。
ゆとり教育の弊害は、この真理から子供達から奪ってしまいました。
その点も今後修正されることになっていくことでしょう。

現政権は、大変重大な使命を背負っていると思います。
党利党略ではなく、日本国の命運を背負っているのですから。