デジタル一眼レフカメラ オリンパス E-3とE-3のコンビを使って心に残った散歩風景を撮影していたが、DP2も参加することになった。 さらにE-3No2からE-5へ移行。 撮影散歩をしながら、感じたり思いついた社会情勢に関して、独り言をつぶやく自己中心的、自己満足的な写真館。 ここの主の名は「ライカ大好き」である。そして、ライカ大好きであったが一度しかない人生なのでなのLUMIX LX3、E-M5、DP2、SD15、SD1Merrill、K5Ⅱsと16-55mmf2.8★、SONYのα7R、D800E、Dfと放浪していた。今は金魚(D810)と付き合っている。この金魚には病があり先天性夜間撮影時出現白点病だった。が、ニコンの医師たちの懸命な努力で、完治した。と書いたが完治はしていなかった。ISO感度がある程度になると白点病が再発した。現像ソフトによって対処療法は出来るが根治療法には至らなない。 またしても金魚に戻ってしまった。
2015年4月8日水曜日
那古野神社から
結婚記念に妻が企画したのが妻の故郷に関連する神社巡りだった。
最初に参拝させていただいたのが、名古屋城に隣接すると言っても過言ではない那古野神社。
創建は醍醐天皇の御代、延喜11年(911年)らしい。津島牛頭天王社(つしまごずてんのうしゃ、現在の津島神社)を総本社とする天王社のひとつで、当初は亀尾天王社と呼ばれたそうだ。天文元年(1532年)の合戦で社殿を焼失したが、天文8年(1540年)織田信秀により再建された。慶長15年(1610年)の名古屋城築城の際に、三の丸の郭内に取り込まれた。これより、三之丸天王社とも呼ばれ、城の総鎮守、城下町の氏神とされたようだ。
明治維新時に須佐之男神社と改称し、1876年(明治9年)名古屋鎮台が城内に置かれたのを機に、東照宮とともに旧藩校明倫堂跡地である現在地に遷座1899年(明治32年)に那古野神社と改称したとのこと。
主祭神は須佐之男神、櫛稲田姫神である。
D810&SIGMA Art24-105mmf4.0
https://www.flickr.com/photos/leicadaisuki/16450853284/
那古野神社と彫られた社号標が入口にある。反対側にも入口があるが、何時もこちら側から入る。
D810&SIGMA Art24-105mmf4.0
https://www.flickr.com/photos/leicadaisuki/16450853984/in/photostream/
手水舎から境内を見ると、桜がまだまだ咲いている。
名古屋という都会のなかで異次元な世界が存在している。
D810&SIGMA Art24-105mmf4.0
https://www.flickr.com/photos/leicadaisuki/16450854134/in/photostream/
この参道を歩くと心が鎮まってくる。都会の中にある神域ならではなのだろう。
D810&SIGMA Art24-105mmf4.0
https://www.flickr.com/photos/leicadaisuki/16450854974/in/photostream/
華美な感じが一切ないが、趣のある拝殿だ。
D810&SIGMA Art24-105mmf4.0
https://www.flickr.com/photos/leicadaisuki/16450855494/in/photostream/
桜はまだまだ咲いていた。桜の屋根に守られているようで贅沢な気分になった。」
D810&SIGMA Art24-105mmf4.0
https://www.flickr.com/photos/leicadaisuki/16450855604/in/photostream/
道には桜の花びらの道が出来ていた。桜尽くしの那古野神社だった。
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