デジタル一眼レフカメラ オリンパス E-3とE-3のコンビを使って心に残った散歩風景を撮影していたが、DP2も参加することになった。 さらにE-3No2からE-5へ移行。 撮影散歩をしながら、感じたり思いついた社会情勢に関して、独り言をつぶやく自己中心的、自己満足的な写真館。 ここの主の名は「ライカ大好き」である。そして、ライカ大好きであったが一度しかない人生なのでなのLUMIX LX3、E-M5、DP2、SD15、SD1Merrill、K5Ⅱsと16-55mmf2.8★、SONYのα7R、D800E、Dfと放浪していた。今は金魚(D810)と付き合っている。この金魚には病があり先天性夜間撮影時出現白点病だった。が、ニコンの医師たちの懸命な努力で、完治した。と書いたが完治はしていなかった。ISO感度がある程度になると白点病が再発した。現像ソフトによって対処療法は出来るが根治療法には至らなない。 またしても金魚に戻ってしまった。
2015年4月10日金曜日
猿田彦神社
D810&SIGMA Art24-105mmf4.0
https://www.flickr.com/photos/leicadaisuki/?saved=1
最終日は伊勢の神宮参拝。その前に猿田彦神社へ参拝。猿田彦神社の由緒は以下の通り。
http://www.sarutahikojinja.or.jp/about/より
「天孫降臨を啓行(みちひらき)された猿田彦大神は、高千穂に瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を御案内した後、天宇受賣命(あめのうずめのみこと)と御一緒に本拠地である「伊勢の狭長田(さながた)五十鈴の川上」の地に戻り、この地を始め全国の開拓にあたられました。
そして、神宮第一の古典『皇大神宮儀式帳』等にあるように、宇治土公宮司家の祖先で猿田彦大神の裔である大田命が、倭姫命の御巡幸に際して、猿田彦大神が聖地として開拓された五十鈴の川上にある宇遅(宇治)の地をお勧めし、そこに皇大神宮(内宮)が造営されました。そのため宇治土公家はその後、神宮において代々「玉串大内人(たまぐしおおうちんど)」という特別な職に任ぜられ、式年遷宮で心御柱と御船代を造り奉るなど、重要な役割を果たしてきました。
同時に邸内では御先祖である猿田彦大神をお祀りし、門前には全国から訪れる参拝希望者やお供えが絶えることはありませんでした。
当社は猿田彦大神の子孫である宇治土公家が代々宮司を務める神社です。」
またこことは別に猿田彦を主祭神とする椿神社がある。ここが猿田彦大本宮とも言われているらしいが、今回はこちらに参拝させていただいた。
D810&SIGMA Art24-105mmf4.0
https://www.flickr.com/photos/leicadaisuki/17066582206/
猿田鉾神社境内内には天宇受賣命を祀る祀る佐瑠女神社(さるめじんじゃ)が存在する。
この神社の到着して車から降りると、まるでお正月のような気温。新年に参拝させて頂いているような感じだった。
しかし、歩みを進むにつれて、体の疲れが癒されて元気になってしまった。
名古屋から130キロ弱の行程を一人で運転してきた。一昨日から総走行距離は600キロを超えているので体は疲れているだろう。
その疲れた体で外宮・内宮に参拝するのは如何なものかと教えて頂いたような感じである。
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