デジタル一眼レフカメラ オリンパス E-3とE-3のコンビを使って心に残った散歩風景を撮影していたが、DP2も参加することになった。 さらにE-3No2からE-5へ移行。 撮影散歩をしながら、感じたり思いついた社会情勢に関して、独り言をつぶやく自己中心的、自己満足的な写真館。 ここの主の名は「ライカ大好き」である。そして、ライカ大好きであったが一度しかない人生なのでなのLUMIX LX3、E-M5、DP2、SD15、SD1Merrill、K5Ⅱsと16-55mmf2.8★、SONYのα7R、D800E、Dfと放浪していた。今は金魚(D810)と付き合っている。この金魚には病があり先天性夜間撮影時出現白点病だった。が、ニコンの医師たちの懸命な努力で、完治した。と書いたが完治はしていなかった。ISO感度がある程度になると白点病が再発した。現像ソフトによって対処療法は出来るが根治療法には至らなない。 またしても金魚に戻ってしまった。
2015年4月25日土曜日
玉野御嶽神社のペコちゃん
D810&SIGMA Art24-105mmf4.0
https://www.flickr.com/photos/132661468@N06/17065859968/
以前に参拝した玉野御嶽神社の守り神的存在の猫のペコちゃん。猫もこんな座り方をするのだろうけど、このペコちゃんが座ると何か新鮮というは神聖な感じがした。
スフインクスのように座っているようで、思わず撮影させてもらった。
これまで様々な猫に出会ってきたが、これだけ印象が強い猫は初めて。
私が幼い頃、飼い猫がいなくなった。しばらすると父が猫を見つけてきた。
それは家の中でガス栓の上に被さって死んでいたそうだ。 猫の遺骸を抱き上げるとガス栓からガスが出ていたそうだ。
つまり猫をわが家の危機を防いでくれたということだと、当時話を聞かされた。どこまでが真実かは分からないが、それが私の最初の猫との思い出だった。
その後犬になり、私が社会人になって仕事場の近くで彷徨っていた子猫を見つけた。近くに親猫の姿は全く見えなかった。
このままだと車に轢かれて死ぬだろうと容易に推測できる場所であったので、会社に持ち帰り、会社の倉庫で飼うことにしたが、流石にクレームが来た。
そこで自宅に引き取った。
親猫と過ごす時間が短く、身繕いも出来ない猫だったが、心は通じていた。私が家を出て独立する時が来た時、行方不明になった。外に出ている気配は無かった。
家中を探し回ると、ワードロープの中の段ボールの中に隠れていた。
自分を置いて出ていくのかということに抗議をしているようだった。
さらに、このネコは15年ぐらい生きた。猫は自分の死に様を見せないという話もあるようだが、その時期が来た時に家からいなくなった。
しかし、母が懸命に探すと自宅の駐車場の横の生垣の下に蹲っていた。
母が名前を呼んで、抱き上げると何の抵抗もしないで家に戻ったらしい。
その話を聞いて、私も会いに自宅へ戻った。すると、「惜しさぶり!」という感じで精いっぱい元気そうに見せて鳴きながら近づいてきた。
また、老いた体を見せるのが恥ずかしそうでもあった。
その後、老衰で直ぐに亡くなった。
その他にも猫との思い出はあるが、このペコちゃんと過ごした時間はわずか30分程だったと思うが、印象が強く残っている。
最後は我々が神社のある山を下山する3分の1ぐらいまで見送ってくれた。
行く手を心配そうに見守っていたのである。 何とも賢い猫ちゃんであった。
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2 件のコメント:
ペコちゃんは確かに神猫の雰囲気がありますね(笑)
ペットにまつわる話(美談)は多いですね !
私も(記憶がありませんが)、飼犬に命を助けて貰ったとのことです。
ただ、これまでたくさんのペットを飼ってきましたが、
別れが辛いです。
今も小鳥を一羽、飼っておりますが、これを最後にしたいと思っております。。。
フォトンさん
神様の使いのような猫でしたね。
皆さんにもペットにまつわるお話は沢山あるでしょうね。
私は犬にも助けてもらいました。
2歳ぐらいの時、2階の部屋から下にいる犬を見ていました。すると、窓から落ちて落下。
その犬の上に堕ちたようです。
気が付くと犬が私の顔を舐めてくれていました。
ペットの別れは本当につらいですね。
ですから、私はペットを飼うことはしていおりません。
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