2015年6月18日木曜日

日本国憲法を見ると

昨今、安保法についてあれこれ国会でも論議されている。特に憲法9条に関する解釈である。 しかし、その憲法9条は以下の前文の上に成り立つものであろう。 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。 つまり「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」ということである。 他国すべてが平和を愛し公正と信義を持っているのに、それに対して武力を用いることは如何なものかということであろう。 さらに「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において」ということなので、これらの前提が崩れた場合は、日本国憲法はその存在意義を失うことになるのではないだろうか? 特に憲法9条は。 専制と隷従が行われている国家があり、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努める国家もあり、その逆もある。 日本国憲法が作成された時代とは国際環境がかなり変わってしまったのであるから、憲法9条は日本国憲法前文が想定する国際社会環境においては遵守されるべきものであろうが、前文の想定状況が崩れた今は、意味をなさないのでないだろうか? しかし、この日本国憲法の前文が崩れたからと言って過去のような帝国主義的な時代になって良いものではないだろう。
私なりに憲法9条を考えると 1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれの放棄を願う。 2.しかし、我が国の存立及び国民の生命財産さらには幸福追求の権利が脅かされる事態が起きた場合は、その権利を守るために武力の行使を躊躇うものではない。 3.前項2の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、保持する。国の交戦権は、前項2に我が国を取り巻く環境が陥らない限り、交戦権は認めない。 と簡単に考えている。戦争は多くの命と財産を奪う愚かなことであるから基本的には反対である。 しかし、そのような考え方が出来ない国民や人種がいるのも事実である。 過去の時代の経験を忘れてしまっている人たちが多くいるのは残念なことである。 ゲーム感覚で戦争をしている人たちもいるだろうが、それは受け入れらないことである。 しかし、そのような人たちを相手にしなければならない時代でもある。 日本人が忘れてしまっているものがあるように思う。 それは何かといえば「勇気」であろう。さらに個人主義的価値観が蔓延してきているので、より勇気を失うことにも なっていると思う。 以下のことが日本人に勇気を与えるかは解らないがご紹介しておきたい。 首相官邸のホームページである。 その中に以下の報告がある。 タイトルは慰安婦問題を巡る日韓間のやりとりの経緯 ~河野談話作成からアジア女性基金まで~である。 http://www.kantei.go.jp/jp/tyoukanpress/201406/20_p.html これは事実の確認をしたものであり、日韓間のやりとりの経緯がある。 これを冷静に読めば我が国が如何に誠意をもって対処してきたが分かる。 さらには現在の悪口おばさん大統領が如何に狂っているのか分かる。 立派な父君である朴正熙前大統領も、娘の狂った姿を見て嘆かれていることであろう。 朴正熙前大統領は日本で言えば織田信長的な存在ではないのだろうかと思っている。 朝鮮戦争で最貧国になった大韓民国を立ち直らせた偉大な大統領であろう。 その智慧と勇気には学ぶべきものがあろう。 日本の陸士としての経験も生かされているのだろう。 さて先の日本国憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」という点では 朝鮮総連はこの全文を覆る行いをしている。 大韓民国第18代大統領の朴槿恵の母親である陸英修を暗殺したことに大きく関与しているからである。 「土台人」となって赤化統一を目指した暗殺者である文世光は逮捕後、「朝鮮総連に騙されて、大きな過ちを犯した私は愚かであり、死刑に処せられて然るべきです。」と言っているが、当時の日本政府は、弱腰で、明確に認めないでいた。 これは大変な汚点ではないかと私は考えている。 この件が現在の朴大統領の日本に対しての怨念になっているとしたら、これは素直に謝罪したいと思うのである。

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