デジタル一眼レフカメラ オリンパス E-3とE-3のコンビを使って心に残った散歩風景を撮影していたが、DP2も参加することになった。 さらにE-3No2からE-5へ移行。 撮影散歩をしながら、感じたり思いついた社会情勢に関して、独り言をつぶやく自己中心的、自己満足的な写真館。 ここの主の名は「ライカ大好き」である。そして、ライカ大好きであったが一度しかない人生なのでなのLUMIX LX3、E-M5、DP2、SD15、SD1Merrill、K5Ⅱsと16-55mmf2.8★、SONYのα7R、D800E、Dfと放浪していた。今は金魚(D810)と付き合っている。この金魚には病があり先天性夜間撮影時出現白点病だった。が、ニコンの医師たちの懸命な努力で、完治した。と書いたが完治はしていなかった。ISO感度がある程度になると白点病が再発した。現像ソフトによって対処療法は出来るが根治療法には至らなない。 またしても金魚に戻ってしまった。
2014年6月2日月曜日
初夏の鹿島神宮
D800E&MICRO60mmf2.8G
https://www.flickr.com/photos/leicadaisuki/14138784119/in/photostream/
参拝して初めて楼門前に出店が並ぶ光景をみた。私たちが参拝してきたこれまでの鹿島神宮とは違う光景である。
大鳥居の竣工に、地域だけでなく、神々も喜ばれているように感じられる。
「鹿島の神と諏訪の髪」を先に紹介したが、そこには武甕槌大神が今回の大震災の犯人探してをされたくだりがあった。
「この度の震災は綿津見神の知らせがあったにも拘わらず、地震を抑える神と言われている私の力でも、祭の日をさけるように数日延ばすことは
出来たが抑えることは出来なかった。鯰を問いただしたところ、この度の地震を起こしたのは鯰ではなく、もっと大きな竜であったと思われる。」
を言われている。
地震の起きた3月11日の僅か2日前は鹿島神宮において「祭頭祭」が行われていたらしい。
この祭は鹿島神宮の数多い年中行事に中でも一番賑やかな春を呼ぶ祭であったそうだ。
当日は鹿島の街に1万5千人の人出があったそうだ。
もし、この時に地震があったら、大惨事になっていただろう。
さらに石の鳥居が倒壊しているので、それに巻き込まれた人もいたことだろう。
しかし、祭が終わり、片付けも終わった11日に大地震が来たということで、武甕槌大神のお話の凄さに身震いを覚えた。
D800E&MICRO60mmf2.8G
https://www.flickr.com/photos/leicadaisuki/14138784719/in/photostream/
この位置から見れば何時もの景色だが、楼門の奥に茅の輪くぐりが設置されている。大払えの日でもあるので設置されているらしい。
三が日に参拝したことはないので、私たちが知らない鹿島神宮の顔を拝見できた。
D800E&MICRO60mmf2.8G
https://www.flickr.com/photos/leicadaisuki/14138785049/
鹿島神宮の本殿の側面である。この本殿の屋根にある千木(正式には置千木)も落御したそうだ。屋根にクロスしたいたがあると思う。それだ。
長さ3メートルで重さはひと組240キロあるそうだ。それがほぞに差し込んで固定されているが、それが外れたのだ。
鹿島神宮の歴史でこの千木が落ちたという記録は残っていないそうなので、相当な大事件でもあったということだ。
しかし、今日の本殿は神々しく輝いておられた。喜びに溢れているとともに新しい国造りが始まった感が伝わってきた。
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2 件のコメント:
鹿島神宮ですか ?!
なかなか奥深い感じで、趣がありますね !
地震のお話、興味深いですね !!
やはり神様がお住まいになっている ?!
フォトンさん
そうですね。鹿島神宮です。大変素晴らしい神宮です。地震のお話はびっくりでした。
さらに陸前高田の諏訪神社の大きな神札が流れ着いた話もありました。
これは感動の話でありましたね。
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