デジタル一眼レフカメラ オリンパス E-3とE-3のコンビを使って心に残った散歩風景を撮影していたが、DP2も参加することになった。 さらにE-3No2からE-5へ移行。 撮影散歩をしながら、感じたり思いついた社会情勢に関して、独り言をつぶやく自己中心的、自己満足的な写真館。 ここの主の名は「ライカ大好き」である。そして、ライカ大好きであったが一度しかない人生なのでなのLUMIX LX3、E-M5、DP2、SD15、SD1Merrill、K5Ⅱsと16-55mmf2.8★、SONYのα7R、D800E、Dfと放浪していた。今は金魚(D810)と付き合っている。この金魚には病があり先天性夜間撮影時出現白点病だった。が、ニコンの医師たちの懸命な努力で、完治した。と書いたが完治はしていなかった。ISO感度がある程度になると白点病が再発した。現像ソフトによって対処療法は出来るが根治療法には至らなない。 またしても金魚に戻ってしまった。
2016年5月18日水曜日
37年ぶりの北海道 その5 北海道神宮
TAMRON SP 45mm F/1.8 Di VC USD&D810
いよいよ北海道神宮へ到着。公園口鳥居から参拝することになった。この鳥居の形は靖国神社と似ている。
北海道神宮の由緒については下記のとおり。
http://www.hokkaidojingu.or.jp/history.html
明治2年、当時「蝦夷地」等と呼ばれていた北海道は、日本の国土としてより明確にする為に、「北海道」と名づけられました。そして同じ年の9月1日に、明治天皇の詔(みことのり)(天皇のおことば)により、東京で「北海道鎮座神祭(ほっかいどうちんざしんさい)」を斎行(お祭を行う事)して、北海道の開拓・発展の守護神として、大国魂神・大那牟遅神・少彦名神の三柱の神々(開拓三神(かいたくさんじん)といいます)が鎮斎(ちんさい)されました。
その御霊代(みたましろ)(神様が宿った依代。鏡や剣等々…)は東京から函館へ、そして札幌へと移されました。明治3年5月には仮社殿が建てられましたが、それは現在の鎮座地(神様の住まれる神社の建っている所)ではありませんでした。現在の位置に社殿が建てられたのは、明治4年のことで、この年に「札幌神社」と社名が決まりました。
そして開国を決断され、西洋の文明を取り入れて現在に至る日本の礎を築かれた明治天皇を昭和39年増祀(ぞうし)(その神社にお祀りする神様が増えること)し、社名も「北海道神宮」と改称しました。
約18万平方メートルの境内地は、桜の名所としても知られ、市民に親しまれていますが、現在の北海道神宮の社殿は、昭和49年放火に遭い、昭和53年に復興されたものです。
TAMRON SP 45mm F/1.8 Di VC USD&D810
立派な社号表が参拝者を迎えてくれる。
TAMRON SP 45mm F/1.8 Di VC USD&D810
神宮内には開拓神社、札幌鉱霊神社、稲多木神社がある。
この開拓神社は物故開拓功労者を祭祀するために建立されたらしい。確かに北海道開拓は大変なことであったと思う。
私も1か月ほど北海道で生活したことがあるが、そこで開拓者たちの足跡を学べる資料館に行った。大きな大木を馬と人が協力して切り倒し開拓した
歴史を学ぶことが出来た。そして、その現場で研修を受けたので、その時代のエネルギーがひしひしと伝ってきた。
そして、同じようなことは出来なかったが牛舎を壊してて新しい建物にする手伝いや、電木と呼んでいた柵を立てるための生木を運んだ。僅か60センチか80センチで直径が10センチほどの木であったが、生木故に大変重く、同時に2本運ぶのがやっとだった。
しかし、開拓者たちは人が抱きついても腕が届かないような大木を切り倒していた。その凄さには驚かされたものだった。
TAMRON SP 45mm F/1.8 Di VC USD&D810
こちらは 札幌鉱霊神社。鉱山殉職者を慰霊する神社である。鉱山という厳しい環境で働き、事故にあった人たちが沢山おられることなのだろう。
当時の人々にとっては大変悲しい事件であったことであろう。
しかし、それらの尊い犠牲のお蔭で、今日の北海道があるとすると、彼らを慰めたいという思いと願いが自然に湧き上がって来た事だろと思う。
その具現化が神社として現れたということは、日本の神道の姿を学べるものでもあろう。
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