デジタル一眼レフカメラ オリンパス E-3とE-3のコンビを使って心に残った散歩風景を撮影していたが、DP2も参加することになった。 さらにE-3No2からE-5へ移行。 撮影散歩をしながら、感じたり思いついた社会情勢に関して、独り言をつぶやく自己中心的、自己満足的な写真館。 ここの主の名は「ライカ大好き」である。そして、ライカ大好きであったが一度しかない人生なのでなのLUMIX LX3、E-M5、DP2、SD15、SD1Merrill、K5Ⅱsと16-55mmf2.8★、SONYのα7R、D800E、Dfと放浪していた。今は金魚(D810)と付き合っている。この金魚には病があり先天性夜間撮影時出現白点病だった。が、ニコンの医師たちの懸命な努力で、完治した。と書いたが完治はしていなかった。ISO感度がある程度になると白点病が再発した。現像ソフトによって対処療法は出来るが根治療法には至らなない。 またしても金魚に戻ってしまった。
2016年5月8日日曜日
金持神社その5
TAMRON SP 45mm F/1.8 Di VC USD&D810
帰路について橋を渡る。後ろ髪を引かれる思いになり振り返る。
この景色の向こうに古より大事にされてきた神聖な場がある。
TAMRON SP 45mm F/1.8 Di VC USD&D810
流れる川の水は美しかった。日本の美しさとは自然が自然のままであることなのだと教えてくれるようだ。
そこに神を感じ取ることが出来たのが日本の美しさなのだろう。
TAMRON SP 45mm F/1.8 Di VC USD&D810
神とともに生活している幸福というものを古代の人々は存分に味わって来たのだろうと思う。
日本の美しさとは神を感じられるところにあるということになるだろう。
金持神社に参拝をさせて頂き、つくづくと実感したことである。
西洋のように人格神として捉えるあり方は、まだまだ幼いのであろうと思う。自然の法則の存在そのものが神であることを感じさせられた私としては、そう思わざるを得ない。
人格に翻訳しないでも神を感じされることが日本では古来より当たり前になっていたと思う。
そしてあえて人格を与えていることろがある。その結果、その神々の名前は長く難しい呼び名になっている。
古事記を難解と思うのは神々の御名が長く発音しにくい。
しかし、この金持神社の地を訪れてみれば言葉超えた存在の臨在を存分に感じ取ることが出来る。
自分の撮影ではそれを全て表現出来ていないのが大変残念なことでだ。
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