デジタル一眼レフカメラ オリンパス E-3とE-3のコンビを使って心に残った散歩風景を撮影していたが、DP2も参加することになった。 さらにE-3No2からE-5へ移行。 撮影散歩をしながら、感じたり思いついた社会情勢に関して、独り言をつぶやく自己中心的、自己満足的な写真館。 ここの主の名は「ライカ大好き」である。そして、ライカ大好きであったが一度しかない人生なのでなのLUMIX LX3、E-M5、DP2、SD15、SD1Merrill、K5Ⅱsと16-55mmf2.8★、SONYのα7R、D800E、Dfと放浪していた。今は金魚(D810)と付き合っている。この金魚には病があり先天性夜間撮影時出現白点病だった。が、ニコンの医師たちの懸命な努力で、完治した。と書いたが完治はしていなかった。ISO感度がある程度になると白点病が再発した。現像ソフトによって対処療法は出来るが根治療法には至らなない。 またしても金魚に戻ってしまった。
2013年8月21日水曜日
靖国神社参道
SD1Merrill&35mmf1.4
今日はまず明治神宮に参拝した。その後、靖国神社へ参拝した。その意味はといえば、明治大帝の思し召しで東京招魂社が始まりで、明治12年(1879)に「靖国神社」と改称されて今日に至っているのであるから、まずは、明治大帝へご挨拶をして、それから靖国へ向かった。
明治大帝の御心を忘れずに平和な国として日本を守りたいという気持ちを持って、靖国へ。
さて以下のような話もある。
1975年には真言宗醍醐派品川寺僧侶仲田順和(のち醍醐寺第百三世座主)が教皇パウロ6世に東京裁判で戦犯となったものへのミサを行うことを依頼すると、教皇はミサを約束する。パウロ6世は1978年に死亡するが、1980年5月21日、教皇ヨハネ・パウロ2世がパウロ6世の遺志を引き継ぎ、A級戦犯・BC級戦犯として処刑された人々へのミサがサン・ピエトロ大聖堂で行われ、1068柱の位牌が奉納されたということだ。
キリスト教国においては戦犯という人たちに対して、慰霊の思いを捧げてくれたことは、何を意味するのだろう。
お互いに事情があり、戦争という手段を取るまでに苦悩があったと思う。そして祖国を守るために戦い負けた人々に罪を着せることは
キリストの心にも適わないということであろう。
汝の敵を愛せと言われたのはイエスである。愛しやすい人を愛すのは容易である。しかし、憎いと思う相手を愛することは大変難しいことである。憎み続ける側は、自分も苦しくなることである。 結局は阿修羅となってしまう。それは地獄への道とも言えるだろう。
ローマ教皇はイエスの使いであるのであれば、イエスの教えを実践されたということだろう。
中共は別として、韓国民の多くはキリスト教徒である。キリスト教会も9万ぐらい存在すると思う。
韓国民のキリスト者たちは、この教皇の行いを知らないのだろうか?
全く不信心なことである。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿