デジタル一眼レフカメラ オリンパス E-3とE-3のコンビを使って心に残った散歩風景を撮影していたが、DP2も参加することになった。 さらにE-3No2からE-5へ移行。 撮影散歩をしながら、感じたり思いついた社会情勢に関して、独り言をつぶやく自己中心的、自己満足的な写真館。 ここの主の名は「ライカ大好き」である。そして、ライカ大好きであったが一度しかない人生なのでなのLUMIX LX3、E-M5、DP2、SD15、SD1Merrill、K5Ⅱsと16-55mmf2.8★、SONYのα7R、D800E、Dfと放浪していた。今は金魚(D810)と付き合っている。この金魚には病があり先天性夜間撮影時出現白点病だった。が、ニコンの医師たちの懸命な努力で、完治した。と書いたが完治はしていなかった。ISO感度がある程度になると白点病が再発した。現像ソフトによって対処療法は出来るが根治療法には至らなない。 またしても金魚に戻ってしまった。
2012年12月31日月曜日
撮影を愛する全ての皆様へ良いお年をお迎ください。
E-M5&MZD60mmf2.8MACRO
今年は激動であった、E-M5、SD15そしてSD1Merrillにまで手を出した。
ライカ味で育った自分には当然の流れなのかもしれない。 撮影をしている時間はすべてを忘れて幸福な時間である。
デジタル時代になって撮影を続けるのだろうかと不安にも思ったが、結構ハマっている。(笑)
しかし、撮影する時間は少ない。それで良いのかもしれない。
今年も撮影を愛する神様に指導された1年のような気もする。
日本人は信仰心が深い民族である。なんでも感謝出来る心の広さを持っている。
一神教を嫌うところがある。
それもまたよきかなである。 古代ローマは一神教になって滅んだのかもしれない。
日本には八百万の神々以外にも仏もイエスも受け入れている。最近はイスラムも、
昔、長安に渡った空海が体験した国際都市にも様々な宗教があった。
国際化とは宗教も多様化することであろう。 最近、明治神宮の最中の美味しさに目覚めた妻に引っ張られて、
この1週間で3度明治神宮に参拝させて頂くことになった。
明治天皇が即位された時代は未曾有の変革に時代であった。 あの時代を賢く乗り越えた先人たちの努力には
頭が下がる。 それをリードされた明治天皇にも畏敬の念を抱くのは自然なことであろう。
日本人は神々とともに生活することを愛していると思う。 素朴な信仰でも良いではないか。
皆が出家者になるわけではないのであるから。
外国人からみたら不思議なのかもしれない。しかし、日本人の魂は真理を知っているのだろう。
生まれつき。 だから、様々な神と言われる存在を受け入れる寛容な民族なのであろう。
その延長線の上に撮影という趣味もある。 諸行無常な時間を記録する奇蹟の趣味でもある。
カメラやレンズを製作してくれている人々は、私からしたら神のような存在である。
そのような皆様のおかげで私は心を休める時間を作ることが出来る。
心から感謝を述べたい。 そして来年も良い年としていただきたいと心から願うものである。
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4 件のコメント:
都心に斯くの如き深き森があり明治大帝が国都をご守護くださるありがたさを感じる清々しくも神々しいトポスであります。初詣は明治神宮へ♪(といっても神宮の回し者ではありませんよ♪)
あけましておめでとうございます。ことしもよろしくおねがいもうしあげます。
アムゼルさん
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
明治の森は当時の日本国民の多くが明治大帝を
偲んで作られた人工の森ですが、人々の畏敬の念や造営に携わった人々の心が込められた神聖な場ですね。
日本國は美しい國です、それは神々を愛する人々が生きているからですね。
無神論を唱える人間にも寛容な國です。
先の大戦では厳しい結果を招いた日本人です。
それを忘れた現代の日本人は民主党政権を誕生させて、あの厳しさを思い出させられるような
体験をして、生まれ変わろうとしています。
左より政権が日本に誕生しては震災を招いています。
村山政権時もそうでした、
神の声を聞けない現代人への警鐘が鳴らされる國です。
神國まさにここにありですね。
あけましておめでとうございます。
大晦日に新宿を歩いていたら「イエスのみが真実である」というプラカードを持った輩が何人も立ってましたね。
だから、その考えが戦争の原因になるんでしょ!!と言いたくなりましたね。
やってる人はいいことをしていると思ってやってる所が実にやっかいなわけで困ったモンです。
戦争を含めた世界的な大混乱は避けられないと思いますが何とかひょうひょうと生き延びたいですね。
SOUDESUさん
明けましておめでとうございます。
こちらにコメントしていただいているの見落としていました。
イエスのみが真実と語ることで、真実を見ていないのでしょう。
イエスの人生は困難な人生でした。
そして、磔になりました。これは人類の罪を贖うと言っていますが、イエスの過去の人生を清算したのでしょう。
それでイエスの過去の魂の罪が薄まったということですよ。
キリスト教からは平和の声が聞こえると同時に
戦いの匂いが消えません。
ここに大きなカルマが存在しているのでしょう。
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