デジタル一眼レフカメラ オリンパス E-3とE-3のコンビを使って心に残った散歩風景を撮影していたが、DP2も参加することになった。 さらにE-3No2からE-5へ移行。 撮影散歩をしながら、感じたり思いついた社会情勢に関して、独り言をつぶやく自己中心的、自己満足的な写真館。 ここの主の名は「ライカ大好き」である。そして、ライカ大好きであったが一度しかない人生なのでなのLUMIX LX3、E-M5、DP2、SD15、SD1Merrill、K5Ⅱsと16-55mmf2.8★、SONYのα7R、D800E、Dfと放浪していた。今は金魚(D810)と付き合っている。この金魚には病があり先天性夜間撮影時出現白点病だった。が、ニコンの医師たちの懸命な努力で、完治した。と書いたが完治はしていなかった。ISO感度がある程度になると白点病が再発した。現像ソフトによって対処療法は出来るが根治療法には至らなない。 またしても金魚に戻ってしまった。
2012年12月2日日曜日
時間と蓄積
SD1Merrill&24mmf1.8MACRO
中華の伝統的な門構えのとなりには殺風景な現代の建物が存在している。同じ時間に存在していても、そこに込れらた
念いの蓄積が違う。
自分の趣向は画質に質量を感じたいという願望がある。
アムゼルさんに紹介されたD700の画像を拝見した。おそらくは高度な技術を持っているのだろう。
しかし、私の心は動かない。なぜなら画が軽いからだ。山を中心に雲などドラマチックに撮影されているなかに
静も存在していた。しかし、この自然の時間言い換えれば歴史を感じることが出来ない。
それは私には軽い画にしか見えないからだ。
質量を感じることは、時間の蓄積を感じることが私の心の中には法則性のように存在している。
それだけの質量があるということは、エネルギーが存在しているということであろう。
エネルギーが感じられない画には心が動かない。
絵画的に美しくても、軽いものは私には合わないのであろう。
オリンパスやシグマで簡単に感じられるものが、N&Cでは感じにくいのである。
だから触手が伸びないということになる。
撮影とかカメラは私の趣味であり、我儘に振る舞える世界なので、どうにもこればかりは変わることはないようだ。
下手の横好きと言われることもあるけれど気楽に遊べる唯一の世界なのだ。(笑)
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2 件のコメント:
たしかに趣向に合わないという事は趣味の分野においては決定的な意味を有しますね。これがお仕事ならクライアントの要求するとおりに撮影しなければなりません。そういうケースでは万人受けする軽くソフトでキレイな画像のものが必要ということですね。
アムゼルさん
今晩は。そうですね、趣味ですからね。
仕事なら仕方ないですね。
ですからプロカメラマンの方は大変であると
思います。
趣味もあって仕事にもあっているなら良いですけどね。
綺麗のように見えるようで綺麗でないですからね。(汗)
本当にプロになると大変です。
昔みたいにライカもって戦場に行けた人は
それは良かったかもしれません。
今は、そうはいかないですからね。
大変です。
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