デジタル一眼レフカメラ オリンパス E-3とE-3のコンビを使って心に残った散歩風景を撮影していたが、DP2も参加することになった。 さらにE-3No2からE-5へ移行。 撮影散歩をしながら、感じたり思いついた社会情勢に関して、独り言をつぶやく自己中心的、自己満足的な写真館。 ここの主の名は「ライカ大好き」である。そして、ライカ大好きであったが一度しかない人生なのでなのLUMIX LX3、E-M5、DP2、SD15、SD1Merrill、K5Ⅱsと16-55mmf2.8★、SONYのα7R、D800E、Dfと放浪していた。今は金魚(D810)と付き合っている。この金魚には病があり先天性夜間撮影時出現白点病だった。が、ニコンの医師たちの懸命な努力で、完治した。と書いたが完治はしていなかった。ISO感度がある程度になると白点病が再発した。現像ソフトによって対処療法は出来るが根治療法には至らなない。 またしても金魚に戻ってしまった。
2016年1月21日木曜日
お別れ
TAMRON SP 45mm F/1.8 Di VC USD&D810
今日は昨年の2月からお世話になったT-5とのお別れの日になった。
こう見るとどこも悪くはないのであるが・・・・・・
とても悲しい思い出になってしまったが、後継者が直ぐに現れてくれた。
2002年式から2004年式へ移行となった。
妻は、この車が大変気に入っていたので悲しみ具合も半端ではなかった。それは私も同じであるが・・・・
あまり多くの思い出は作れなかったが、それでもあちらこちらに出かけて素晴らしい時間を過ごしたと思う。
今日からは新しいお付き合いが始まった。
久しぶりに対面したが、以前、16歳で死んだ猫が死ぬ前に対面したことを思い出した。彼は横浜で拾って来た孤児だった。
黄金町の公園付近を走っていたら目の前に現れた。慌てて車を止めて親猫を探したが、どこにも見当たらない。
そこで仕方なく拾って自宅で買うことにした。 それから16年の時が経ち、かなり老齢化して元気が無かった。
ある日、家を出て行方不明になった。
母が必死になって探したら自宅の駐車場の生垣の下に蹲っていた。
死に場を選んでいたのだろう。
母はこんなところでは死なせないと言って連れ戻したらしい。
それを聞いて戻った彼と対面したが、「おおー久しぶり」という感じで笑顔を鳴き声を出して背伸びをしながら近づいてきた。
彼にとっては私は親のようなものであるが・・・・・
その翌日に息を引き取った。
その時の猫の笑顔と、この車の顔がダブって見えてしまった。
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2 件のコメント:
愛したものと別れるのは悲しいものです。
猫も帰る場所がわからなくなって飼い主さんに合うまでは死ねなかったのではないでしょうか。
会いたい会いたいと言う気持。
生き物の生命力は未知。
ほっとして安らかに虹の橋を渡れたのではないでしょうか。
ブライアンさん
今晩は。そうですね。愛したものと別れるのは辛く悲しいものです。
レンズたちもそうでしたね。様々な出会いがあり、そして感動があり、そして別れが来る。
その時は、そんな時が来るとは想像もしておりませんでしたから。
猫はそんなかんじですね。面白いことに私の結婚した時のことです。実家から出て独立することになった日に、
猫が行方不明になりました。そして部屋中を調べたら、私の部屋のクローゼットの中に入り込んで隠れていました。
その時は1歳ぐらいでした。何か私が家を出るのに抗議をしていたようにも感じられました。
面白い猫でした。また親猫や兄弟がいないので毛をつくろうことも出来ないでおりました。
そんな面白い猫でしたね。
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