デジタル一眼レフカメラ オリンパス E-3とE-3のコンビを使って心に残った散歩風景を撮影していたが、DP2も参加することになった。 さらにE-3No2からE-5へ移行。 撮影散歩をしながら、感じたり思いついた社会情勢に関して、独り言をつぶやく自己中心的、自己満足的な写真館。 ここの主の名は「ライカ大好き」である。そして、ライカ大好きであったが一度しかない人生なのでなのLUMIX LX3、E-M5、DP2、SD15、SD1Merrill、K5Ⅱsと16-55mmf2.8★、SONYのα7R、D800E、Dfと放浪していた。今は金魚(D810)と付き合っている。この金魚には病があり先天性夜間撮影時出現白点病だった。が、ニコンの医師たちの懸命な努力で、完治した。と書いたが完治はしていなかった。ISO感度がある程度になると白点病が再発した。現像ソフトによって対処療法は出来るが根治療法には至らなない。 またしても金魚に戻ってしまった。
2013年3月24日日曜日
覚林寺 破魔軍
E-M5&SIGMA19mmf2.8
清正公(せいしょうこう)さんとして親しまれた、加藤清正を祀る覚林寺に掲げられた扁額「破魔軍」。魔を破る天の軍勢ということであろうか。有栖川宮熾仁親王の書によるものだそうだ。
加藤清正は豊臣秀吉の家臣で1592年に始まった朝鮮出兵で帰朝の際に、朝鮮国王族の李氏の6歳の女の子と4歳の王子を連れて帰ってきたそうだ。
この4歳の王子が後の日延上人。(何故,清正が王族の子供を日本に引き連れてきたのかは謎)
清正は大切に養育し、日蓮宗に帰依し信仰心が厚い清正の後を受け継ぎ博多のお寺に出家して、「日延」という号した。
清正公の武勇にあやかり、勝利を得たいと願う参拝者が多いのは事実である。
このあたりは熊本藩の中屋敷跡。
身近にこんな歴史があったとは、この年になるまで知らなかった。
清正公はおそらく朝鮮出兵で多くの朝鮮の人々を傷つけたことに関して心を痛めていたのだろう。また、当時の朝鮮の政治は腐敗をしていたようで、そんな中に幼い子を
置いておくのは忍びないと考えて引き取ったのかもしれない。また、朝鮮の王子を大事に育成することで傷つけた多くの朝鮮の人々への詫びとしたのかもしれない。
連れてこられた王子の心はと考えると、清正公を祀る寺を建立したのである。それが清正への思いであろう。
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